言いたい放題

ここではレイキに限らず。。。。そのとき思ったことを書いていきます。

<お題目>
EMSレポート予定?(2002年5月)
今年前半を振り返って(2002年5月)
今年もお勉強をしてみる。(2002年3月)
久しぶりに雪印、トンデモ解釈(2002年3月)
2001年も終わり (2001年12月)
やっとできそう。。。。(2001年11月)
ダライラマなら、戦うだろうか?(2001年10月)
参議院選挙が終わって(2000年8月)
サイババのこと(2001年7月)
なんかすっきり(2001年6月)
私の病気 その3 直伝霊気(2001年5月)
私の病気、その後(2001年4月)
私の病気(2001年3月)
げんかつぎ(2001年2月)
惰性と習性ときっかけ(2000年1月)
パワーグッズ遊び(2001年1月)
京都観光(2000年11月)
パワースポット巡り(2000年10月)
マントラを唱える(2000年10月)
あせってんねや?(2000年9月
会社のオーラ(2000年9月)
イスのこと(2000年8月)
親との関係(2000年 8月)
雪印のこと、食べ物のこと(2000年 7月)



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あせってんねや?(2000年9月)
私は「親との関係」でも書いたようにレイキとのつきあいはかれこれ数年になる。
今はレイキに関する広告媒体はこのHPだけにしてるが、最初は「FILI」「たま」
などのお世話になっていた。(「FILI」はまたそのうちに、と考えている)

こういう雑誌に広告を出す場合、団体名が無いと広告を受け付けてくれない。
一番最初には友人の紹介で「FILI」に広告を出す。
そのために団体名を考えた。
まず最初は「霊気玄喜会」(れいきげんきかい)とネーミングした。
まじめにやってるようだが、はっきりいって遊んでいる。。。。
占いで自分の四柱推命の命式に適合する画数を選んで、最後に
「元気かい?」と駄洒落で落とす。。。。
一応、「玄、喜」という漢字の選定は画数と駄洒落以外の神秘学的な意味と
「レイキで元気」というキャッチフレーズとしての持たせているが。。。。。
やっぱりどう見ても遊んでいる。
こういう怖そうな名前を付けても洒落がわかる奴は結構いるようで、
広告に出すと、みんな一発でわかってくれた。
ということで私はこの団体名が気に入った。

でもわかってくれない奴が1人だけいた。「FILI」に紹介してくれた奴が、
いろいろ言ってくる。FILIの関係では世話になったから、そしてあまりうるさいから、
しぶしぶ名前を変えた「アセンティア」。
一応これも画数とそれなりに意味を考えてネーミングした。
(団体名を変えたら広告版下もやり直しになるから、経費がかさむ)

4年ほど前だったと思う、知り合いの女性3名相手にヒーリングのセミナーを行った。
そこには他で依頼を受けていたセミナー参加者をモルモットさん(=実験台)として
参加希望の女性を1名同席させていた。(その後この女性とは交際する事になる)
そのころの私は離婚のショックもかなりやわらいで、しかし前の彼女とは別れていて
空き家であった。

セミナーは順調に進んだ、そして最後に彼女たちを参加者3名を駅まで送迎した。
その時「アセンティア」という団体名の由来について聞かれた。
それで団体名についてのこれまでの経過をかいつまんで説明した。
何か私と実験台の彼女の空気はその頃から、そうなる空気だったのだろうか?
その中の1名がボソッと言った。
「あせってんねや」
車の中は一瞬、静かになった、しかしすぐに爆笑の渦となった。
何も言い返せない。。。。腹が立つ、しかしこれは強烈に面白い。
団体名「アセンティア」を使って結婚にあせってる、と強烈なジャブを投げてきたのだ。
(当時31歳頃であった)

確かに焦っていたのかなあ。。。。。。

話は変わってそのセミナーに実験台として参加した女性との話であるが、結婚の寸前まで
進んだのだが、話は無しになった。

さてここでまた占いの話。(もういいって?まあそう言わずに)
四柱推命では生まれた年、月、日、時間を10干と12支でそれぞれ表現し、それによって
色々な事象を推測する。
丙午(ひのえうま)というのは有名ですね。
甲子園球場というのは10干12支で甲子(きのえね)の年に出来たから甲子園なんです。

同じような形で月、日、時間にも10干12支があるんです。
そこで私の生年月日を10干12支で表現すると(これを命式という)
時  日  月  年
* 庚 乙 癸
* 申 丑 卯  となります。(生まれた時間は伏せます)
   (金)

ここで生まれた日の庚は私自身を象徴し、申(金)は私の結婚と結婚相手を象徴します。
そして申は私の命式では全体から見た場合悪い作用を及ぼすものです。
つまり私の結婚運は四柱推命では悪い、ということになる。
そして申は中国の五行では金を意味すると言うことを憶えて置いて下さい。

その私の「あせってんねや」であった期間、おそらく離婚してからこのセミナー以降、
私が交際した女性は3名いる。(現在の妻はのぞく。。。。。くれぐれも忙しい奴である)
彼女達の命式を関係ある場所のみ五行で単純化して表現してみる。
(五行ではエネルギーを木、火、土、金、水に分類します)

女性1           女性2         女性3

時 日 月  年      時 日 月  年    時 日 月 年
金 木 金 *      金 木 金 金    金 木 金 金
* * * *      * * * *    * * * *

この3つの命式を並べて脳天気な私でさえ愕然としました。
自分が何処へ流されていこうとしていたのか?はっきりわかったからです。

見れば誰でもわかりますね、全く同じタイプの女性ばかりと縁が出来ている。
さて彼女たちの共通項は。。。。。生まれた日が木で、他は金が多い。

具体的な彼女たちの状況であるが。。。。。
枠に悩み、ストレスに悩まされる。
異性関係に悩みを持ちやすい。
家庭でしっかりとしつけを受けており、表面的には問題のない女性である。

そして彼女たちの命式の主となるエネルギーである、金は。。。。。。
私にとって私の結婚と結婚相手を象徴するのは前述しました。
(やはり「あせってんねや」かなあ?)
しかし金をこのような配置で持つ女性と生活すれば。。。。。
やっぱり結婚生活は駄目になるでしょうね。(四柱推命の示す通りの運命です)
もしくはそれ以上の悪いことも予測されるでしょう。

あせってんねやというのは、私が何らかの泥沼にはまっている状況を、
その女性なりに皮肉って表現した物だったのでしょうか?

これほどに連続して、はっきりと傾向の出るケースは少ないと思います。
ただ彼女たちとの関係が終わってから改めてデーターを並べてみて、
自分は何をしようとしている?ORどこに流れて行こうとしているのか?
はっきりと理解することが出来ました。
(私にとってこれが自分を占った最後であったと記憶しています)

私自身、偶然思い立って、関係のあった3名の女性のデーターを並べようと思い、
実際やってみたことで、ある1つの気づきを得ることが出来ました。
愕然として、「あ、そうだったのか」と気が付く事で自然に自分の行動は
変わりました。(それ程ショックだった、ということです)
結婚運について完全に悪い箇所を修正したか?そこまではわかりませんが、
その1つの発見は1つの方向修正を確実にもたらしたのは確実です。

何かを変えようとするとき、変わるとき、ある程度のショックは必要かも知れません。
自然に変わるのが一番楽でいいんですが、そう言う時ばかりとは限りません。
ショックと言っても愕然とするばかりがショックとは限りません。
それを知ること、気づくことで「何で今までそんなこと。。。。」と腹が立つ、少し悔しい時。
「わかった、これでばっちり。。。」と張り切るとき、色々あります。

ショックとはありがたい、後になってみれば感謝するべき、かもしれません。
(あまり再三来られると疲れるけど)

私は物わかりの悪い人だったので、3人の女性達と交際している期間に何も感じる事もなく、
知人の女性達に「あせってんねや」と指摘された段階で何かを感じる事なく、
自分で占いを使って振り返ってやっと気が付くことが出来ました。(本当に鈍い、というか頑固)
周囲に気を配り、人の言う事にもう少し耳を傾けるべきだと。。。。。少し反省しました。
それが出来ない私の人生は、はっきり言って遠回りがやたらに多かったです。

今は遠回りは少し減ったけど。。。。。わかっていて寄り道を楽しんでます。
(何も変わってない?)


会社のオーラ(2000年9月)
かなり前のことである。多分20年ほど前だろうか。
私は皆本幹雄さんという関西の霊能者の著作を読んでいた。その本には霊的な感覚、
能力に優れていない人でも使える簡単な霊術的方法、ヒントをたくさん書いてある本だった。
その中には「家の外観で見る住人の運気の見方」があった。
とても簡単な方法で1つはすぐにできた。でももう1つはわからなかった。
そのもう一つというのは。。。。家を見て大きく見えればその家は運気が栄えている、
と言うような見方であった。一番わかりやすいのは運気盛んな家は
何となく屋根が膨らんで見えるというのである。

考えてみれば、芸能人、有名人はなぜか大きく見える、目立って見える。
それと同じだろうとはすぐにわかったが。。。。当時は出来なかった。
まあそういうものか、と言うだけで特に色々家を見て練習したわけでもないし、
出来なくて当然である。
「ぼーっと見る」これがわからないと出来なかったのだ。

話は飛んで、2年ほど前のことである。
ある時、会議出席のために本社に向かった。
私が勤務する会社の本社は大阪市内のある駅を下車してすぐである。
その時疲れていて何となく会社のほうを「ぼーっと見た」。

縦長の会社のビルがへこんで見える。屋上は特にわかりやすく、
落ち込んで見える程。。。。
ビルにある、我が社の看板も同じ。。。。。
当時は金融危機のピークであり、そのあおりを受けてどの会社も
いきなり銀行からの融資をストップされたりして毎日毎日を乗り越える
のがやっとであった。
だから「やっぱりなあ」という気持ちはあった。何とかなればいいけど。。。。
でも周囲の他の会社と比べても我が社のへこみ方はブッチギリ,
タイガースが10ゲーム以上の差をつけた最下位になるような。。。。。。
へこみ方であった。

あれから2年ほど経過した。今も本社には用事があってたまに行く。
あのときの感覚を思い出して「ぼーっと見る」。
今も会社はへこんで見える。あのころは際立ってへこんで見えたが、
今はへこみ方にも年季が入って渋みすら感じる?(おいおい)
いま我が社は営業が少しづつ、じり貧になっている。この着実なじり貧が
年季の入ったへこみとなって見えているのだろう。

同業の他社でも勝ち組の会社は広告媒体を見ても圧倒的な感覚を得ることがある。
別の業界では大手と称される超有名企業でもその会社のビルが目一杯へこんで
見えることがある。

業務提携、統合と言う名の下に大きな者が小さな者を吸収していく。
それは弱肉強食の宇宙の摂理であろう。
力の弱った動物は肉食獣の餌となる、または大地に還っていく。
それによって均衡、循環システムが保たれる。
私たちに見える身近な経済の世界でもそれは進行していくだろう。

確か10年ほど前、一時的に精神世界でも統合という言葉がはやった。
ソビエト連邦が崩壊し、ベルリンの壁が壊された。
ネガティブな感情を統合する、なんて表現をしていた。
あのころは全てを統合する、と言う言葉で済ませた。
世の中もそうなるだろう。。。。とみんな言っていた。
(アホな私には当然わからなかった)

銀行なんてわかりやすいですね。ひたすら大きくなろうとしている。
(でもゴミをたくさん集めても結局ゴミの山でしかない。。。提携相手は選ばないと)
一方で末端の顧客に特化した方向性を打ち出す銀行もある。
まあこの分野は大きくなる方が勝ちに近くなるだろうか。

でも一方で大きくなることが有利に働かない分野というのも存在する。
身近な例で言えばパン屋が当てはまると思う。
大手のパン屋は町の小さなパン屋にまだ勝てない。多分これからも勝てない。
それは規模の小ささ故に発揮できる店のオリジナリティー、技術性、さらに
町の住人との信頼感を町のパン屋が勝ち得ているからであろう。
(本当においしいパン屋ってどこの町にもありますよね)

町のパン屋が消えないことを祈りたい。
統合の名の下に何でも同じ、みんな一緒というのは気持ち悪い。
全てがそうなれば。。。。。何も考えてないのと同じである。みんなただの部品である。
みんなが横並びを指向し、同じでなければ排除する。。。。。。
それは昔の重工業が国家を引っ張った時代に逆戻りしてるだけではないか?
それが統合だろうか?ネットワークとはそういうことか?

ネットワーク、つながり、と言う言葉には大きな夢がある。
でもそのネットに属する全ての存在が生産的であり、調和的であるというのは。。。。。
決してあり得ない。インターネットを見れば一目瞭然である。
明日に向かって夢を見るのは大切であり、決して否定してはならないが、
夢を見るだけなら。。。。。

草の根のネットワークを自分たちの世界でやっている、と言う主張もあると思う。
たしかにそれはそれで素晴らしいけど。。。。。
本当にそれを育てていかないと。。。。。。ネットワークと言う言葉で私たちは踊らされ、
いつしか衆愚政治を、ロボットとなった心のない人間達を大量生産するかもしれない。

大きさには「安心」があるが大きさ故に動くことは容易ではない、
人海戦術=ネットワーク(人のつながり)ということは絶対にない。
大きくなれば。。。。。結局一部しか考えないし動かない。
残りの大部分は流されるだけである。

小ささにはどこに行くのか?見えない怖さが確実にあるが、
前進を望むなら小ささを選ぶべきである。
人は前に進む力を持っている、だから人間なのだと思う。
小さなグループには「前進」がある。

でも前に進むと言っても、怖いものは怖い。。。。。それが人情である。
大きな団体に一応足をかけて自分の意見が十分に届く程の小さな団体で
自分を発揮するべく活動する。
これなら「安心」と「前進」の両方が得られるかも?

何も生活のための仕事以外の分野でまで安心感と横並びを求める必要はない。


イスのこと(2000年8月)
私は精神世界が好きである、昔は西洋占星学、四柱推命、奇門遁甲、
大気現象(干支九星)、梅花心易、河洛理数。。。。
(こんな名前の占い、ほとんど知らないでしょ?マニアなんです)
大体パソコンを買ったのは星占いをやるのが目的だった。
今はレイキ、カルナレイキ、クラニオ・セイクラル、
そしてパワーグッズとトンデモ関連の収集。。。。。。

今はそうでもないが、昔は精神世界の住人には本当に居場所がなかった。
集まる場所も、仲間も、探すのが本当に大変だった。

そしてある時精神世界の東スポこと「月刊ムー」を読んでいると、
大阪にムーショップなるものが出来ると言う。
よくわからないけど、行ってみた。本当に色々な人種が来ていた。
私も自分の変人としての完成度に自信を持っていたが。。。。。
無意味だった。私は変人として大したことがない、それだけはわかった。
私は出来るだけこの店に入り浸り、当時こっていた占いの勉強のために
色々な人間の出生データーの収集につとめた。

見事に「ひどい」というかランクの低いデーターばかりが集まった。
かく言う私の出生データーもかなり。。。。。ひどい。
ちなみに何人かのヒーラーのデーターをとっても。。。やはりひどい。
ひどくなければヒーラーにはなれないのか?
昔の占いで言えば。。。。ヒーラー、易者なんて僧道の命といって
最下層の区分であった。
(注意:中国の運命学の視点では精神世界の住人全般がこの区分となる)
ある意味世の中を捨てる部分が無ければ、常識的なレールに乗ることに
疑問を持たない奴は、常識のレールに乗れる流れを持つ人はヒーラーではないのか?
時代が変わっても変わらないのか?
現代社会は価値観の多様性により占いで言う格の低い人間がクローズアップ
されてるのは事実であるが、歴史を振り返ると、こういう時代、価値の逆転が起こる時代とは、
例外なく文化の爛熟、乱世の要素を含んでいる。
だからこそ時代に求められる部分もあるのだろう。
そして隠されていた価値観は表に出るだろうが。。。。
その隠れていた物が天下を取るか?いいとこ取りで捨てられるか?
その結果は時間のみが知っていることであろう。
<このような考え方は精神世界とは相容れない発想ですね、>
  <占いと歴史で見た視点のものであると理解下さい>

本題に戻ろう。
この店のレジ横には長椅子があった、いつしか常連はここに座るのが常連たる
シンボル、自己主張となっていたような気がする。その長椅子は常連たちの社交場であった。
そこに座るのが認められるのは常連だけ、という暗黙の了解が客の間になぜか出来ていた。
そして私も含めて何人かの常連は店のあり方にまで口を出すようになっていた。
店は常連達のたまり場となっていた。そして店は1年で閉店した。

何年かして。。。。京橋にパワーストーンの店ができた。この店は今でも商売をしている。
店がオープンして少しして私はとりあえず見に行った。
今まで見たこともないような、色々な種類のパワーストーンがある。そして色々な人と出会った。
前回同様に出生データーの収集をしてみたが結果は同じ。(いやそれ以上か?)
カバラをやると言っては店で紙とはさみで図画工作のまねごとをしている人達、
海外の法具を買ってきてやると言って客から何十万もふんだくったらしい?密教僧、
地震の被災者を売り物にしてあっちこっち自説を吹聴してのけぞってるおっさん、
住民票を故意に消し、名前も生年月日も記憶から消そうとする女性。。。。。。
当時のその店は人間観察に最適な場所であった。

この店のレジ横にはソファーがあった、いつしか常連はここに座るのが常連たる
シンボル、自己主張となっていたような気がする。そのソファーは常連たちの社交場であった。
さすがに今回は常連以外が座ると駄目というのは無かったが。。。。
とりあえず常連同士、店のスタッフと仲良く無駄話に花を咲かせていた。
しかしこの店は1年半ほどで事情があって経営スタッフが入れ替わり当初のスタッフは
1名をのぞいて経営から退くこととなった。

ただこの2つの店の当時のリーダーが店を退く時、同じ事を言っていた。
「あのイスが店を駄目にした」「今度店をやるときはレジ横にイスは置かない」

客と経営者の距離が近くなりすぎてリーダーが一人で考える時間減った事。
そして常連が店を作ってしまい結果的に経営を色々な意味で悪化させたこと。
この2つのことを共通して言っていた。

さらに次のようなことも言っていた。
そして常連のサイドからみてもそのイスは駆け込み寺であった、日常で居場所のない、
OR居場所の喪失感を感じてる人間でもこの店のイスは自分を迎えてくれるような気になる。
休む場所、憩いの場所、存在証明の出来る場所、それが長椅子、ソファーであった。

結局その長椅子には癒しは無かった、常連やスタッフが傷をお互いになめあっていただけ。
癒しの前に少し休むだけの場所であれば、それはそれでOKだったけど、
そのとどまる期間が長いために「よどみ」となり水は腐っていったのだろう。
その「よどみ」はあまりに心地よくて誰もそこから出ようとする人はいなかった。
別に誰も清らかになることなどは望んでいなかったのか?

人は仲間を欲する動物である、群れることには安心がある。
昔程でないにせよ、今も精神世界で集まれる場所、仲間は貴重である事に変わりない。
しかし群れることで向上しているつもり、互いに研鑽をするといいながら、実は自己の
存在証明だけに、自己をひけらかしたり、よるべき大樹を探すのも悲しい気がする。
存在証明、寄るべき大樹があれば、行くのはOKだろうけど、いつまでもそこに留まれば
座っていれば自分だけでなくグループもいずれは腐るだろう。

どれほどその場所が居心地が良くても、どれほどその場所で貢献してもその場所を
離れる時、関わる形態が変化する時が来れば、それを歓迎する必要がある。
(周りからちやほやされていれば、重宝がられていれば離れるのはいやだけどね)
私たちがいるのは会社組織ではない、いや会社組織であってもいつまでも同じ
関わり合いの形を維持されるのは会社から見れば。。。。はっきり言って迷惑かもしれない。

長椅子はしばしの休息の為の物である。まあ昼寝ぐらいはいいけど。
そして休みが終わればいずれ次の場所に進むことになる。
あまりに席を立つのを、生きるのを急ぐことはないけど、
前に進むのは、時として別離があるのも人として仕方がないことであると思う。

今も京橋の店にはソファーはあるが、商品が陳列されている。



親との関係(2000年 8月)
私がレイキと出会ったのは28歳の時、それからあれこれあって本格的というか。。。
少しづつお客さんが来るようになったのは、地震があったあの年のことでした。
あの地震,私の中の何かも奮い起こしたみたいで、何かものすごいやる気が湧いてきました。
あの藤原紀香(関西人)も地震で何かが変わったそうですけど。。。。
(一緒にしては藤原に失礼?というものである)

でもそれで私のキャラが何か変わったかな?と言われれば、何も変わっていない。
相変わらず馬鹿みたいに値段の高い占い関係の専門書を買いあさり、
相変わらず訳のわからんセミナー費用のために金をドブに捨てていたし、
セミナー行ったらかわいい女の子いないか?ばかりで講師の話は全然聞かない。
(確かに金をドブに捨てている)

そんな奴がレイキを教え始めた、見知らぬ人から問い合わせの電話が来る、
そしてお客さんが来るようになる。
私は面白がっていたけど、親ははっきり言って怖かった、らしい。
昔から精神世界、神秘世界一辺倒、だから親から信頼を得られるはずがない。
運命学的にいえば精神世界にいくのは、現実世界で使い物にならない奴だから、
と言う事になっている。時代が変わってもそれは変わらないだろう。

あの地震のあった年にはそういえばあの地下鉄サリン事件もあった。

ある時母親にこういう話を聞かされた。
「夢の中であんたを叱りとばしていたんだけど。。。。何ていってたっけ?
ああ、思い出した、ヘッドギアーを外しなさい、って叫んだんだわ」

はっきりいって。。。。。。。。。こけた。

あまり親子の会話なんて、この年になって敢えてやらないけど、このときだけは
「自分の生んだ息子をもう少し信頼してくれ」そういった。

それからこの話も、お客が来ることも親は何も言わなかった、でもある時
好意的な反応を示し始めた。
「今度の人、北海道から来るんだって?それじゃあ、あんたすごいんだ」
全くロジックのかけらもない発想である。思考の途中経過が全く。。。。。。。無い。
ここまで省略すれば立派である。我が家の家系に潜むカルマだろうか?

人間なんていい加減なものである、自分の事なんてまじめに見てくれない。
そう思ったが世間なんてそういうものであるし、以外に私たちもそのような、
ふっと見た現象で人を評価したり、イメージを作ってきている。

でもそこになにかあるってのも事実かも知れない。
私には他人に見えない自分が見える、でも他人には自分に見えない自分が見える。
そこにギャップがあって悩むこともあるが、あっさり世間の意見を受け入れてみるのも
悪くないかな、そう思い出した。引き出しが1つ増えるんだから、まあ後は適当に
使えばいい、多分それだけなんだろう。

それだけだよ、なんてあっさり言えば、「それが出来ないから困るんだ」って
お客さんがよく反論する。
みんな自分の流儀をちゃんと持っているんだなあ、と感心しきりである。
私があっさりしすぎているのかもしれないけど。

カルナレイキでも私がやり始めた(本当はお客さんが発見した)ある方法を使うと
あっさりした人はみんな「天国みたいだ、こんな感覚は初めてだ」と言うけど、
こだわりが強力な人、というか殻が固い人は確実に不快感を生じる、と言う方法がある。
私はこの方法を最近は性格チェックに使っている。

話がCMになってしまった。流れをもとに戻して、
さて最近であるが、1回だけ親がこんな事を言っていた。
「今日のお客さん、おみやげないの?」
人間は常に前に進む事ができる、変わる事ができる動物であることを確信した。
だがそれにしても、ずうずうしい。我が家のカルマであろう。(甘やかしてはいけない)

それから最後になりましたが、私はこの文章を通じて、決して客人におみやげを要求
してはおりません。それだけはここではっきりさせておきます。
(でもお菓子類は基本的に好きである、私は来る物は拒まない???)





雪印のこと、食べ物のこと(2000年 7月)
これは怖いですね。私も幼稚園に行ってる子供を持っているし。
私の家は生協の牛乳飲んでるから、なんて思ってたら、これも雪印の製造。
そういえば昔、森永もヒソミルクでややこしいことになったけど、森永だって
頑張って今までやってきたわけだし、雪印もこれで倒産なんていやだね。

最近食品のこと、あれこれ言われること多いけど、今日我が家の食卓にはフルーツコーン、
などという変わった新顔のとうもろこしが登場した。生で食べる物らしい。
生で食べてみると確かにフルーツみたいな味がする。嫁さんは食べたけど、私は。。。
品種改良ってどんどん進んでいるなあ、なんて思いながら夕食を食べた。

それで思ったんだけど。。。。今まで農家がやってきた品種改良と遺伝子食品の改良って
何が違うんだろうっていうこと。あまりに素朴な疑問だけど。
私たちは自然に対して色々やってきたけど、どっちも同じだし、一方を受け入れて一方を
拒否するのは何かおかしいのではないか、そう思えてきました。

確かに遺伝子の改良技術は新しい技術ですから、あわてて安全性を強調する理由はない、
そして遺伝子作物のショッキングな映像、報告をいくつも見聞きもしている。
でもそれって遺伝子技術を疑うなら、従来の農薬どっさり、改良山盛りの作物についても
今一度厳しい目で考え直すべき、ということになるんじゃあないだろうか?

この運動はまだ一部の自然愛好家、スピリチュアリスト、主婦だけの潮流ですよね。
子供を持つようになって嫁さんや子供と買い物をするようになって、
ようやくですが少し私も気になるようになりました。

ちなみに私は農薬、品種改良、遺伝子技術を完全否定するつもりもないけど。。。。
ただ情報の正確な提供だけは希望します。

アメリカが自国の遺伝子作物について、以前やったように
隠すような発言をすれば疑うのは当たり前です。
議論を重視するアメリカにしては、あり得ない発言が飛び出したなあ。。。
疑念が出されれば徹底的にデーターなどを用いて潔白を証明するだろうと
思っていたので、遺伝子作物についての発言は。。。。
自分でクロと認める(海外の消費者をモルモットにしている事を認める)
に等しい行為だった、そう感じました。


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